3年前

3年前の私は、今の生活を予想していただろうか。

3年前の私が、今の生活をもし知っていたら、今の生活を選んだだろうか。

3年前の私は、何を考えて決断したのだろうか。

 

こう考えると、自分が論理的に考えて意思決定をしていないことがわかる。大きな目標もなく、その都度その都度意思決定に迷う。軸がないから。だから悪いといっているわけではない。ただ、そうである、という話である。

 

3年後の私は、想像できるだろうか。

3年後の私が、どうなっていることが理想なのか。

3年後の私は、今の私の決断を悔やむだろうか。

 

こう考えると、未来を選びとる決断というのは、たいして重い決断ではないと感じる。

 

苦しい道を進めば、人生が充実する

 

そういう人もいれば

 

今の決断を自分が好きな方へ好きな方へやることが、人生を楽しむ秘訣

 

という人もいる。

 

私は、どちらもあると思う。

なにも振りきらなくても、両面ある気がする。

今の私は、後者である。

でもときおり、前者でもある。

 

白黒つけずにグラデーションでいこう。

 

感覚的な思考パターンと論理的な思考パターンを共存させることができたら、豊かな自分になると思っている。

 

3年前なんて、思い出せるようで思い出せない。

詳しく言えば、3年前の私の気持ちは、もうよみがえらない。

今ここで感じている私の気持ちは、今しか味わえない。

 

自信をもって次々挑戦していく人生

最低限の生活が保証されて、のびのび暮らせる人生

 

どっちがいいとかじゃなくて、私は、どっちもやりたい。

3年後の自分、どうなってるかな

日を経るごとに、年を経るごとに、できることは増えてく一方の私。

無限の可能性。