冒険withカメラ ぼっくり編

カメラが欲しかった。勢いで中古カメラを買いそうになったが、まずは"カメラを手に入れる"ではなく"写真を撮る"ことをしてみようと思いとどまったのが前回までの話。

 カメラ - こめのブログ

 

 

 

 

さて、そんな私は早速デジカメ片手に公園へ出向いた。平日の日没前というナイスなタイミングのため、子供がたくさん遊んでいた。

しかし、知らない人を撮る勇気はなかった(撮っていいものか、そしてここに載せてよいものか、顔が判別できないほど遠かったら載せてもいいのか、後ろ姿なら載せてもいいのか、思うことありすぎてためらった)ので、広場をそそくさと離れ、なにか撮るのにいいものはないかと、キョロキョロ歩いた。

 


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なんだこれ?!

まつぼっくりパラダイス。見つけた。

 


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パシャパシャ。目を細めるとちょっとあのトトロに出てくるまっくろくろすけっぽく見えなくもない。いや、見えないか。

 

 
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こういう構図、好き。なにかとこういう雰囲気で撮ること多い。虫の目線、的な。こういうのが好きだから、ピント合わせてそれ以外が綺麗にボケる感じのカメラに憧れてるんです。

 


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見上げると、こんな感じ!思ったより綺麗に撮れてうれしい。言うまでもなくその黒いツブツブがまつぼっくりね。

 

まつぼっくりがこんなに落ちてるところを通るなんて、新鮮だった。少なくとも家でゴロゴロしてたら一生出会えなかった光景。フラっと思い立って、パッと来て、よかったなぁ。

 

 

はぁ、思ったより楽しかった。夢中になれた。 帰り道は行きと違う道を通って、次から次へと新しい景色で、自分の心がスーっとしていくのを感じた。

 

また、こういうことしよっと。そして、そのたびにここで小さく報告します。

 

こめでした。写真の向きを変えてブログに貼るには、どうすればよいのやら。次回に期待。そして、また過去ブログがうまく貼れなくなった。せっかく見つけたやり方を忘れた。次回に期待。

 



3年前

3年前の私は、今の生活を予想していただろうか。

3年前の私が、今の生活をもし知っていたら、今の生活を選んだだろうか。

3年前の私は、何を考えて決断したのだろうか。

 

こう考えると、自分が論理的に考えて意思決定をしていないことがわかる。大きな目標もなく、その都度その都度意思決定に迷う。軸がないから。だから悪いといっているわけではない。ただ、そうである、という話である。

 

3年後の私は、想像できるだろうか。

3年後の私が、どうなっていることが理想なのか。

3年後の私は、今の私の決断を悔やむだろうか。

 

こう考えると、未来を選びとる決断というのは、たいして重い決断ではないと感じる。

 

苦しい道を進めば、人生が充実する

 

そういう人もいれば

 

今の決断を自分が好きな方へ好きな方へやることが、人生を楽しむ秘訣

 

という人もいる。

 

私は、どちらもあると思う。

なにも振りきらなくても、両面ある気がする。

今の私は、後者である。

でもときおり、前者でもある。

 

白黒つけずにグラデーションでいこう。

 

感覚的な思考パターンと論理的な思考パターンを共存させることができたら、豊かな自分になると思っている。

 

3年前なんて、思い出せるようで思い出せない。

詳しく言えば、3年前の私の気持ちは、もうよみがえらない。

今ここで感じている私の気持ちは、今しか味わえない。

 

自信をもって次々挑戦していく人生

最低限の生活が保証されて、のびのび暮らせる人生

 

どっちがいいとかじゃなくて、私は、どっちもやりたい。

3年後の自分、どうなってるかな

日を経るごとに、年を経るごとに、できることは増えてく一方の私。

無限の可能性。

カメラ

カメラが欲しい。パシャパシャしたい。

スマホも確かによい。けれど、写真を撮るためだけのカメラが欲しい。

 

中古でよさげなやつを買って、遊ぼうと思った。カメラなら、普通大切に使うだろうから、中古でも質はいいのではないか。だから、中古カメラ屋さんに行った。

 

しかしこれがまるでわからぬ。ショーケースの中に入っていて、手に取ることができない。もちろん、言えば出してもらえるのだろうけれど、ちょっと興味本意でさわりたいだけだから、勇気がでない。それに、レンズがついてない本体と、レンズだけが別々においてあるけど、どのレンズがどの本体と繋がるのかわからぬ。さっぱりだ。同じメーカーなら繋がるのかなぁ。

 

ミラーレスと一眼レフなら、ミラーレスがいいなあと思う。その程度。

カメラは軽いほうが良くて、持ち運びが楽なほうがいい。それでいてちゃんと背景がボケるような、ピント調節自由自在な感じのカメラが欲しい。

 

そんな都合のいいカメラはあるのか?

デジカメでよくないか?

 

欲しいとか言うわりに、あんまり詳しく調べてないことが発覚。

 

iPhoneXうらやましすぎる。ああいう写真がとりたいの。

 

まず、2年半前に買ったデジカメでたくさん撮ってみようよ。そこからだ、私。焦るな。

 

カメラ初心者を脱したい。

 

 

あぁ、私って、やりたいことたくさんあるなぁ。

 

やりたいこと見つからないんじゃなくて、ありすぎるんじゃない?と言われたことがあるのだけれど、そうなのかもしれない。1つに絞れないのね。絞る必要のない場所へ行きたい。

 

 

モットー

モットーを決めよう。

合言葉を決めよう。

それが、自分の軸になるような。

そんな言葉を作ってしまおう。

座右の銘はなんですか的なやつに、スパッと答えられるかっこよさがほしい。

 

こめです。

こうなると人の座右の銘とか気になりだします。ネットで調べてしまいました。でもパクるのは嫌です。だから最近自分で思っていることをそのまま。

 

「自分の機嫌は自分でとる」

 

ですね。

はい決まり。当面これでいきます。

座右の銘とは少し違うような気もしますが。

合言葉として!

 

ハイスピードでお送りしました。

 

 

トドメの接吻

どはまり。ドメキス。

 

あー、楽しかった。終わってしまって寂しい。

 

それくらいの語彙力しかない私をなんとか変えたい!その思いで、真剣に何がどう面白くてハマってしまったのか考えてみることにした。

 

以下、拙い考察をご容赦ください。

 

1.テーマ

愛なんて必要ない。そんなものあるから不幸になる。金がすべて。そんな主人公の旺太郎が、宰子と出会い、タイムリープを繰り返していくうちに、愛を知る、愛の素晴らしさに気づく。そんな、愛がテーマ。

旺太郎の幼さ、意地の張りかたは可愛らしくもあるが、どこか切ない。過去の出来事を踏まえると、無理もないと感じられ、観ている方はもどかしい。

 

2.登場人物

キャラが確立されている。この人なら次にこうするだろうな、というのがある程度読めるくらい確立されている。

そしてその上で、話を経るごとに、登場人物の性格やら内面やらが、変化していく。その変化をみているのが面白い。

主人公はさることながら、宰子ちゃんも、長谷部も、ミコトさんも、尊氏も、変化していく。手に取るように登場人物の気持ちがこちらにわかるようになっている。演技も脚本も素晴らしいと感じた。素人目線だが。

 

3.設定

宰子ちゃんとのキスで1週間前にタイムリープできる。設定が揺るがない。だからわかりやすい。

 

4.予想外

前半にたたみかけるな(四千頭身風)、と言いたくなるくらい1話で話がどーんと進む印象。次々話が進んでわくわくする。そして、予想の右斜め上をくる。最終話なんて、ちっとも読めなかった。わかりそうでわからない、いい意味で期待を裏切られたのが気持ちよかったのかもしれない。

 

[まとめ]

愛という大きなテーマの中で、タイムリープというしっかりした設定があり、それを通して主人公をはじめとする登場人物の内面が変化していく様子が細かく描かれ、予想をいい意味で裏切る方向へ話が進むことで常にわくわくハラハラする、面白いドラマであった。

 

少しは自分の言葉になった!うれしい。

ちょっと堅いまとめなような、そんな気もするけどねん。まあまあの出来でしょう!

 

こめでした。

宰子ちゃんの変化が可愛すぎた。

 

 

 

 

 

 

二次の悔しさ

何かの感想を書く。何かをおすすめする。

それは楽しい。自分が楽しいと思ったことを、アウトプットする行為。

 

でも、悔しい。

誰かの何かをおすすめするだけの人生は、悔しい。

 

ここへきて、消費マインドから生産マインドに興味を持ち始めた。

 

もちろん、誰かの何かをおすすめすることは、悪いわけではない。本当にいいものなら、是非そうしたらいいだろう。

誰かの何かをおすすめし続けることが、結果的に私が産み出したことになるかもしれない。

 

でも悔しい。それは二次情報だから。

 

一次情報を扱いたい。

一次情報って、強いなと思う。強いって何って、希少価値があるというか、なんというか。

 

例えば、本から知識を得たとして、それで最先端にいるつもりになっても、それは実は遅くて。

というのも、作者はその経験を本にする前から(あるいは本を作りながら)しているわけで、その人のその体験こそが一次である。

本になったものを新しいと錯覚して取り入れても、それは二次情報にすぎないのである。

 

情報には、鮮度があると思う。

新鮮であればあるほどいいときもあるし、熟せば熟すほどいいときもあるだろう。

私は、新鮮な情報を取りに行く、扱う、ということがしたくなった。

 

大学へきてよかったことの1つに、情報は自分で取りに行くものだということを学べたことがある。

 

あらゆることは、情報である。データである。

生情報、生データにこだわりたい。

ネットの二次情報を、ほんとかよと笑いながら実践して、なんだ、こんなもんかみたいに思いたい。

 

自分の感覚、自分の解釈、自分の軸

そういうものに自信を持ちたい。

誰かがおすすめしてたからとか、ネットで好評価だったからとか、それで動くのはなんか悔しい。

 

自分で取りに行く。そして、自分で取った情報をみやすく加工したり整理したりして、私を構成する一部になるまで仕上げて、発信して、私はこんな人だよ、はもちろん、他の人に情報を提供する側になりたい。

 

新規性と、独創性がほしい。

そして、それらの再現性を保証したい。

いわゆる研究というやつかもしれない。

 

 

 

整体と引き寄せ

どうも、調子が悪かった。

もともと、疲れやすい体質だと思っていた。なんかだるいし、遊ぶ体力もそんなないし、緊張する場面では高頻度でめまい+視界真っ暗みたいな。

 

最近、どうも、ひどく調子が悪かった。

気分の問題だと思っていた。それがどんどん私を苦しめていた。

病は気からだと思っていたから、メンタルが弱いんだなと落ち込んでいた。

出先で調子悪くなって、どうにもならなくなって、友人にも迷惑をかける始末。

ちなみに、友人は迷惑だなんて一言も言ってない。むしろみんな素晴らしく優しい方々で、心配してくれるのはもちろん、気を遣いすぎないでくれるという最高の気遣いをしてくれる。いつも本当にありがとう。

迷惑をかけたと思っているのは自分で、そういう歪んだ思考、勝手解釈をする自分が許せなかった。

 

 

まず、顎が痛いのである。

そこから歯車が狂っている気がしてる。いや、なんならもう少し前からおかしい気がする。

 

 

顎関節症ってやつである。

歯医者に行って、マウスピースを作ってもらって、毎日マッサージをして、一度は落ち着いた。

でもすぐに痛みが戻った。

 

これでは、なんの根本的な解決にもなってない。対症療法でしかない。うすうす気づいていた。

 

体を全身、検査してもらいたかった。それは私の前々からの願望であった。

体が歪んでいることは、自分でもわかっていた。部活に励んでいたとき、整骨院に通っては、骨盤が歪んでると言われ続けていた。今でも鏡を見れば肩が不自然に落ちているのはわかるし、歩く度に骨がパキパキ言うのもわかる。歪んでいる自覚ありあり。

 

顎が痛いから顎に原因があるとはまさか思っていない。別の場所にある可能性が高いと踏んでいた。

 

だから、そういう風に私の体をみてくれる治療はないか、と探した。

ただ、高い...

しかし、自分の体は何よりも大切な資本という考えのもと、行くことにした。これだけ投資をするのだ、必ず治す。腹をくくった。

 

行った。診てもらった。整体師になりたいと思うほど感動した。施術はたった30分弱だった。こんなにお金払うんだからもっとやってよと思ったけど、それが逆効果だってこと、真剣に説明されたから、言葉を飲み込んだ。

 

家に帰ってから、ひたすらに眠い。そして、ひたすらに喉が乾く。そして、私は、知ることになる。私の体がみるみるよくなっていくのを。

 

何をしても、だめだったあの体が。

副交感神経を働かせようと必死で半身浴を頑張ってもたいした効果がなかったあの体が。

 

まるで別人。足の冷えもない。

 

感動している。こんなにも違うのか、と。

精神的にも余裕が出て、たいしてネガティブにもならず、自己嫌悪になることもなく、自然と、まあいっか、って口から出てくる。

 

ようは、体も心も元気になったってやつです。

 

これを維持できるように努力する。生活習慣に気をつけて、食事の栄養バランスも気にする。ぶり返さないように努める。

 

最高の投資をしたと思う。そして、学びを得た。

 

それは、

 

あるべきところにあることで、本来の力を発揮できる

 

ということ。

 

 

歪んでる、とは

あるべきばしょにないということである。

 

ついでにいうと、私の内蔵も、あるべきばしょにないせいで、あまり機能していなかったらしい。

内蔵をあるべき場所に戻してもらった途端、体温が上がるのを感じたくらいの劇的な変化。

 

あるべきところにあることで、本来の力を発揮できる。

 

いろいろなことに当てはまる気がする。とくに、今私のなかでホットな、進路とか将来とかにぴったりに思えてきた。

 

私を、あるべきところに配置すれば、本来の力を発揮できるのでは。

 

仮説が誕生した瞬間である。美しいと感じるものって、シンプルだよなあ。

 

あるべきところ、とはどこ

それを見つけるだけ。それを見つけるためのぼうけんの書だ。

もう、怖いものなし。楽しむだけか。

 

 

という一連の出来事や思考は、すべて引き寄せたような気がしてならない。

 

健康な体になりたいという思いは、私に整体の存在を教えてくれた。そして、自分の体に投資することを後押ししてくれた。

 

元気になりたいという思いは、整体のお陰でよくなったという思い(込み)や感謝につながった。

 

楽しくいたいという思いは、私にぼうけんの書を与えた。

 

そしてなにより、引き寄せの力を手に入れたという思いが、引き寄せの力を引き寄せているのだ。

 

好循環。続けます。

 

あ、そういえば。余談だけど。

この前自転車の鍵なくして、出先からチャリの後輪を持ち上げて(結構重い)テクテクして休んでテクテクして休んで、はぁー、しんどいなぁ、誰かがハンドルさえ支えてくれれば、もっと歩きやすくなって楽になるのになぁ、と思った矢先、なにかできることありますか、と知らない人が声をかけてくれた。

本当にありがたかった。心の底から感謝した。引き寄せました。

 

引き寄せでチャリの鍵が見つかったら、この引き寄せの力をもっと信じます。

 

こめでした。