不器用なわたし

とても久しぶりに、ブログをひらいた。

自分の過去記事を、全部読んだ。

風邪を引いて、なんとなく暇だからである。

 

見方を変えれば、1ヶ月以上、ブログを更新する心の余裕のない日々を送っていたということになると思う。だから風邪を引くんだ。

 

過去記事を読んで、自分で言うのもなんだけど、つまらないわけではないなと感じた。

つまらないわけではない、という表現にしたのは、さほど面白くもないからである。

 

取り上げる話題やテーマが、面白くないのである。

 

そんなことに頭使ってないで、もっとほかのこと考えたら?と、言いたくなることがある。特に内面世界の話のとき。そんな話書いてどうすんのと思うけど、当時はいっぱいいっぱいで、毎日そんなことばっかり考えてたんだと思う。今でもそうだけれど。

そう考えると、まだ外に発信していた私は元気だったみたいだ。ここ1ヶ月、自分に閉じ籠った私は、もっとこじらせて体調を悪くした。

 

でも、それでいいんだと思う。その時はそれが書きたかった。それだけだから。書きたくなければ書かなきゃいいし、書きたきゃかいたらいい。ブログは誰に強制されてもいない。

 

 

この1ヶ月、いろんなことが起きた。

起きるあらゆることを、自分のせいにした。

心に余裕がなかった。

今でもどこかに、あのときああしてればとか、こんな自分だからとか思う自分が存在している。

 

"自分"を出せなかったのだ。

穏便に済ませたいとか

自分が頑張ればいいとか

これが運命だとか

そういうつまらなーい言い訳ばっかり

「嫌われる勇気」を何度も読み返していながら、内容をちっとも理解していなかったことがわかった。

 

自分でも末期だと思うのは

嫌われたくないって思って行動してるわけじゃなくて

その場では体が勝手に自分を押し殺して一番穏便にすむような、平和にすむような解決策を提案するのだが

家に帰ったり、あとでゆっくり考えたときに、フツフツと、そうじゃなかったみたいな、怒りというか情けなさがわいてくるところである。

 

家の外に一歩でると、自分を出さない自分へと変貌する。

 

その場ではなんとも思わなくなる。感覚が麻痺している証拠だし、なにより自分を大切にできてない。

 

あとから何を思ったところで、時すでに遅しだと思う。

しかもそれって、あまり他人に理解されない。嫌ならなんでその場で言わなかったの、って言われる。その場では思わなかったんだもんとしか言いようがなくてつらい。

 

だから最近は、自分に忠実に生きている人を見つけては、勉強している。

 

そうしはじめたところで、気づいた。私の友達には、自分に忠実に生きてる人だらけだという事実に。

ないものに憧れるってほんとなんだなとつくづく。師は周りにたくさんいました。みんなありがとう。

 

嫌いなことは嫌いと言う

無理に好きになろうとしない

嫌なら距離をおく

 

この逆をいってた私は、なにがしたかったんでしょう。完璧超人になりたかったとしか思えない。そんな無謀なところも今ではすきだよ、私。

 

ねっとりじめじめ、嫌だと主張するんじゃなくて、明るく嫌だと主張する。そんな方法を最近学んだ。だからやってみた。不思議と嫌われてない。むしろ、好感度が上がった気がした。謎の現象であった。

 

いや、謎ではない。

自分に忠実に生きてないほうが、見苦しいことに気がついた。内面と対話することが多いせいか、私と似た思考回路を持つ人と出会うことが増えた。増えたというよりは、気づくようになったのかもしれない。今まで人のこと上っ面しか見てなかった気がする。だからといってすべてを知った気になるつもりもさらさらないが。

 

そして、似た思考回路を持つ人と一緒にいると、決まって思うのが、生きづらそうだな、こじらせてんな、と。

 

他人は自分の写し鏡と言うけれど、まさに。

 

そんな他人を見てたら

自分も、なんか反省した。

自分に申し訳なくなった。

 

だから、好き勝手やろうと

人にわざと迷惑かけるようなことするんじゃなければ

なにやってもいいんだって

 

でも、現実問題、そううまくはいかず

やらなきゃ、みたいなど真面目の私の性格は急変するわけでもなく

日々ちゃんとやることやって、その上で好きなことやろうと頑張ってて

 

そしたら、ガタがきた。

何してても、だれといても、急に涙が出てくるみたいな。

いつ涙のスイッチ入るかわからないというか。

 

はたからみれば非常に精神不安定だとおもう。この状況が友達に起こっていたら、とりあえず休みなさいと言うと思う。

 

でも頑張ってしまった。

そのやらなきゃいけないと思ってることって、ほんとにやらなきゃいけないことなの?

 

根本的に、だ。

 

その通りで、決してそんな頑張んなくてもいいことで。でも責任感と真面目さだけは他人と張り合えるほどの自信がある私は力の抜きどころがわからなかったみたいで。

 

そこがよさでもあるんだけどね。

なにやっても納得行かないって時期なだけなんだろうけど。

 

正直しんどい。

自分で勝手にしんどくしてるのはわかってる。

負のループから抜け出せない感じ。

あがけばあがくほど事態が悪化するというか。

もう何をしても無駄だみたいな諦めがでてきてしまったり。

 

だから風邪ひいたんだとおもう

そうでもしないと私、休まないから。

風邪とかいう正当な理由がない限り、心のどこかでああ、休んでしまったみたいな罪悪感感じちゃって休めない私のことを、私の体はよく理解してくれてる。ありがとうございます。

 

冒頭に内面世界の話は面白くないと書いたのにも関わらず、結果的に内面世界の話となりました。

他人は自分の写し鏡と先ほど話しましたが

ブログもまたしかりだと思います。

ブログというか、文章というか。

 

こうやって記録に残しておいて、あとで見返してどんだけ自分病んでたのさ、と笑える日が来ることを信じます。

 

最後に

今の私に足りてないものは感謝である、ということを、記事を見返したときの自分にも伝えたくて、ここに記しておこうと思います。

 

この世の全てに感謝しようとか

そういう言葉ってわざわざ言うと、どうもうさんくさいというか、信じられないのです、私は。

だからあまり書きたくはないんです。

感謝を表明してる自分を見て、みたいなのが透けて見える感謝は、感謝じゃないと思うからです。

 

心の底から感謝の言葉を述べたり書いたりするときと、そういう自分に酔った感謝は、なんとなく人に伝わると思っています。

 

酔っていようが感謝は感謝で、言わないよりは言ったほうがいいのかもしれません。その辺は、人それぞれ思うことがあると思います。

 

その上で、報告したいことが。

 

最近よく、起きたら、ありがとう私、ありがとう布団、ありがとう朝ごはん、ありがとう電車とか、何にでも感謝しなさいみたいな文章を見つけるのです。

 

そういうのが目に入るのって、今私にとって必要だからな気がする。

感謝が足りてないと指摘されることもあった。

そんなことわざわざ人に指摘されるなんて。

 

 

非常につまらない大人になりそうだったところで、風邪がひと休みくれました。大事に休みます。

 

星の王子さまに出てくる惑星に住む、ちょっぴり残念な大人にはなりたくなくて。

王子さまになりたいわけでもないけれど、どちらかというと王子さまみたいな心を持ち続けていたいと思っています。

 

つらつらと書いて、心のデトックス、ちょっとできました。ありがとうございます。

 

よし、これからも

力の抜きどころをおさえて

ゆるく過ごしていこうと思います。