2年前のブログを読み返して

変わらない、ほっとした。

2年前の私が思っていたような2年後の自分に近いような気がして、うれしくなった。

口に出すと叶うと言うけれど

ここに書き記したから叶ったのかもしれない。

2年前...

それがもう存在していなかったような気分。

この今も、忘れてしまう過去になってしまうのだろう。

どこからきて、どこへいく。

その途中を楽しむ。

人生の旅の醍醐味は、その途中に。

たどり着く先は、みな同じ。

たどり着くまで道は、いくつかある。

心が輝く、光る道を選べるように

いつでも準備万端にしておく。

準備の連続がいつしか本番になるんだ。

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい、を観た。

テレビで映画がやっていて、たまたま時間があったので、観た。

 

一言で言うなら、そっと両手で包みたくなるような話だった。

 

 

余命をまっとうできると思っていたから、あの展開には鳥肌がたってしまった。そんなことある?ってテレビに向かって呟いてた。

 

誰しもいつ死ぬかわからないってこと、あらためて感じさせられた映画

 

自分にあるものには自信が持てなくて

自分にないものに憧れるその感じ

尊敬しあうもの同士の美しさを感じた

 

 

たくみくん(しがくん)の演技にひきこまれた。

 

本当はとてつもなく死ぬのが怖かったんだよね

でも平静を無理に装うというよりは

今生きることに焦点を当ててた

 

みていてなんとも言えない感情になった

 

 

映画と小説は若干話が違うようだから、小説も読んでみたい。

 

 

人生はそんなことある?ってくらい理不尽で残酷かもしれない。

誰にでも1日は平等に与えられている

その1日1日を精一杯生きる

その連続が人生になる、それだけなんだなと

なんの変哲もない日々を過ごすことがいちばん大変かもしれないね

 

この映画は忘れた頃にもう一度観たい映画の仲間入りです

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

寄せ集めでオリジナルを

この人のこの考え方いいな、というのを自分にも取り入れて(真似して)、そういうのをどんどん繰り返して、そこに自分の経験をからめて、「私」になっていきたいなと思う、こめです。

 

 

最近グッときた人やその考え方をここに並べて、それを見てニヤニヤするのは楽しいんじゃないかと思い立った。

 

 

西野亮廣

真似したいところが多い。毎日ブログを更新しているところ。批判も否定も力にしていくこと。競争を避けるところ。何より周りの人を幸せにしているところ。自分の持てるものを最大限に使って楽しんでいるところ。

 

・ZOZOの前澤社長

競争しないという方針。みんな楽しく人生過ごそうぜみたいなところ。好きなことにはとことんお金を使い込むところ。それが決して浪費になっていないところ。

 

・みやぞん

自分の機嫌は自分でとるって、いい言葉だなあと。みやぞんがはじめに言ったのかはわからないけど、みやぞんの人柄とか笑顔と相まって、すごくいい考え方に聞こえる。

 

・ローラ

自分磨きにストイックなところ。オンとオフがあるところ。

 

三浦大知

なんでも楽しそうにやってる人って、ほんとに素敵に見える。踊って歌ってるときの彼は半端なく輝いてる。

 

四千頭身

競争しない、というスタンス。ここまで書いてきて、私って競争しないでニッチを狙う人たちが好きなのかもしれないと思えてきた 。人を笑顔にすることができる人って素敵だと思う。彼らは、誰も傷つかないしそして下品で不快な思いもしないような、平和な笑いを届けてくれるから、本当に好き。

 

渡辺直美

自分に自信をもっていて、自分を最大限に活かしているところ。周りを笑顔にできちゃうところ。本人が一番楽しそうなところ。

 

武井壮

興味を持ったことを1日1時間勉強する、とか

走ったりトレーニングしたりする、とか

自分を磨くのに余念がないこと。私も真似したいほんとに。努力の方向とかやり方がすごいなと思う。

 

瀬戸内寂聴

やりたいことはすべてやった。

その一言のかっこよさに痺れました。

私もそう言える人生にしたい。

 

・Taka

自分の道を突き進むことで、周りに元気ややる気を与えるところ。やる気を出せよと他人に呼び掛けるよりよっぽどかっこいい。そして、俺たちがいないと生きていけないなんて言うなと、お前らの人生だろっていうライブ中のMC。全力のライブ。

誰かのためにとかじゃなくて

自分達のために突き進んだ結果、周りの人たちにポジティブな影響を与えられる人って、ほんとにすごいと思うし、自分もそうありたい。周りの2、3人でいい。ほんとに少数でいいから、そういう形で周りのみんなに元気になってもらえたら、そんなに幸せなことないんじゃないか、とちょっと思う。

 

ほかにもマツコ・デラックスとか。たくさん。

 

ミーハー感がいなめないけど、それでよし。真似したいところは真似して、私のものにしちゃう。

 

全ては真似からはじまる。

 

 

就職戦略というか、方針というか。浮かんだ将来のアイデアを書き留めた。

就職活動を甘く見てた。

自分が自分の頭で考えられない人間だと気づいた。

 

 

今自分ができること×それができる場所×自分の目指す社会とその場所の目指す社会が一致=満足のいく結果

 

だと最近思い始めた。

 

1,今自分ができること

・自分の時間で何かをすること

・英語が少し

・勉強も少し

・人の話を聞く

 

 

少しでも自分ができること、増やしておくんだった、、、

 

 2,自分の目指す社会

平和。争いなく、個人個人がその能力を発揮してイキイキできてそれでいて回る社会。適材適所が達成されて、みな得意なことやりたいことで毎日暮らせる。精神的に余裕があり、豊かな優しい社会。

 

 

 

自分の考えを言語化して、よりブラッシュアップしよう、ブログをそんなサードプレイスにする。

 

今自分ができることなんて、限りなく少なくて、しかもわりと誰でもできることである。

だからって腐るんじゃなくて、そのなかでも自分のストロングポイント(人の話を聞く・英語)を伸ばせそうな場所にとりあえずはじめは行く。それで経験を身につけて、そこから次のステップを考えたい。

 

 

今考えてる職は

カウンセラー

環境調査

下着メーカー

自然のなかでする仕事

日本語教師

教育系

スポーツトレーナー

世界とつながれる仕事

 

 

わりと一つ目はなんでもいいというか、そんなに重きを置かなくてもよいのではと思えてきた。

 

というのも、自分がとる行動はまさしく自分の意思表示だと気づいたから。

 

新卒一括採用は私にとってしんどいから、その波にはのらない(のれなかった)

 

未経験を承知で迎えてもらえる場所に行きたい(そんなの当たり前な気もするけど、始めっから能力あります私みたいな顔して面接とかすると、自分を偽ってる感じがしてきて、とても心の健康に良くない。等身大の私でいたい。自分に過小評価も過大評価もしたくない。過去に重きをおかれるのつらい)

 

就職してから自分の理想を実現するんじゃなくて

 

就職プロセスも自分の理想のものにしたい

 

下手すると言い訳とか甘えに聞こえるけど

 

私が私をまず信じて受け入れる。私の選択を尊重する。

 

精神的に余裕のある暮らしをずっとしていたい

 

デッサンに正解はないよねきっと

ふと、長い間やればやるほど楽しくなりそうなことを趣味にできたら素敵だなと思った。

 

長い間やればやるほど味が出るというか

 

気長に続けられることというか

 

それでもやらないのとやるのでは違うよねというような

 

そんな何かがあればなぁと

 

真っ先に思い浮かんだのが絵。

 

ずっとアート的なことをやりたかった。

 

やりたかった。とかいって継続してやったためしがないのでそこまで熱意はないのかもしれないけど

 

ちょっとやりたいとおもったことは全部やることにしている2018年のこめなので

 

やることにした。

 

 

どんなアートでもなんでもいいんだけど

 

 

お金がそこまでかからないことと気軽にできることを重視して

 

デッサンをやってみることにした。

 

調べてみると、デッサンは、あらゆるアートやクリエイティブの根幹だそうだ。

聞けば、立体作品を作る人でさえ、平らな紙にデッサンの練習をすることは基本なのだそうだ。

 

精神的にやられているのは認知の歪みが関係していると、医者に調べるように言われた認知行動療法でそう言われていた。

 

デッサンをすればするほど、認知、いわゆる物の見方みたいなものが変わってきそうだなと、中学の美術でデッサンをしたときの薄い記憶をたどって直感的にそう思った。

 

デッサンを通して、心を落ち着かせて、新しい自分の扉を開いて、年を取ったときにも趣味として続けていられたら、素敵なんじゃないかと思った。素敵でしかない。

 

 

 

ちょっとやってみようかなと、思っただけです

これも毎日やる!とか意気込むんじゃなくて

 

なにもやることないなとか、心がざわついてきたなとか、夜眠れないなとか、そういうときに、あ、デッサンしよう!とすぐ思えるような思考回路を作るために、ここに決意を書きました。

 

 

今はたしかに眠れないけど、気分じゃないからデッサンするのはやめておこーっと

サードプレイス

サードプレイス探しを意識的にやろうかなという話。

 

ファーストプレイスは、家のこと。

セカンドプレイスは、職場のこと。私の場合は大学にあたるのかな

 

 

サードプレイスは、ファーストプレイスとセカンドプレイスの他に、自分が安心していられる場所のこと。肩書きとかいろいろなものをおろしてありのままの私をだせる場所。

 

サードプレイス、最近の私にはなかったなと。

 

サードプレイスがあったときは、うまくやっていけてた。

 

意識的にサードプレイス探しをしようとおもう。

まずブログがそうかなと思った。

 

なんだ私、意外とサードプレイス探しのセンスあるじゃん素敵

 

サードプレイスって、場所に限らず、ある特定の他人との空間でもいいのかな

 

そしたら、この人といる空間はどこでもサードプレイスってことになる

 

そういう安心できる場所

 

衣食住を大切にしたいと日頃から思っていて、思っているだけで行動にうつせているかというとそうでもないんだけど

 

サードプレイス探しは思いっきり「住」にかぶるなぁと。

 

衣食住の「住」は、なにも腰を据えて過ごす場所だけではないかなと

 

都合のいいように解釈

 

それでいいんだよね

 

自分が思ったこと、いちいち人にぶつけて反応をうかがってみてから、これはいいんだ悪いんだみたいな判断をくだす自分がいつもいて

 

変えたいなぁとおもっている。

 

ここは私のサードプレイス!といえる場所を他の人は持っているのかな

 

みんなそうやって生きやすくしてるのかな

 

 

今日も眠れないし内容にまとまりも濃さもないけど、それでいいじゃん

 

 

 

 

 

 

 

精神的に崩壊した話

2018年の目標が

 

"ブログをほぼ毎日更新する"

 

だったことを今思い出したくらい、地に足のついていない不安定な自分になっていました。

 

5月の半ばから、おそらくストレス過多で大学行くっていう今までできてた当たり前のことがが急にできなくなって

 

パタリと行かなくなって

 

いや、パタリと行けなくなってしまって

 

学校へ向かう地下鉄に乗ろうとすると

 

涙が出て切符が買えないみたいな

 

自分では異常だって気づいているようで気づけていなくて

 

なんの連絡もなしに学校にこないなんてありえない、って周囲から思われるようなタイプの私だった

 

だからみんな、大丈夫?って連絡をくれた

 

ありがとうこんな私を、って思ったけど返事を返すっていう今までものすごく簡単だったことができなくて、大丈夫だよ、って嘘ついて返事することもできなくて

 

結果的に無視した形になってしまった

 

とりあえず口では説明できないし、自分でも自分の状態がよくわからなかった。

 

なんで今まで簡単にできてたことができないんだろう、これじゃだめだ自分、甘すぎる

 

みたいな追い込みかたをしていた

 

みんなに心配をかけているという状況すら嫌だった。だから、この自分の状況を見てもらえれば、なにか感じてもらえて、あ、こいつ疲れちゃったんだな、返事帰ってこなかったのも無理ないかなって思ってもらえるかなって思って、残ってたわずかな気力で休みはじめてから2週間後くらいに学校へ行った。

 

そしたらそのまま保健室につれていかれた

 

自分で思ってた以上に人から見ると異常だったらしい

 

保健室では、看護師さんが私を見て慌てて精神科の予約をとってくれた

 

とにかく行きなよと言われた

 

行けないなら入院してもいいし

 

タクシーだしてもいいし

 

なんなら迎えにいくしって

 

自分事なのに、他人にそこまでしてもらってる、他人にそこまでさせてしまった、というところがすごく嫌でまた自分を責めた。

 

翌日になんとか医者にかかって、

というのも自分の意思は行きたくなかったが、他人にそこまでしてもらったのに行かない自分というのは許せなくて、ものすごく頑張って支度をして家を出た。

 

そこで、

 

適応障害・不安抑うつ状態

 

の診断を受けて、1ヶ月は学校から離れて実家に戻って療養するようにと言われた

 

薬も処方されかけたが、薬なんかに頼る自分にはなりたくないと、医者の助言に聞く耳ももたず、意固地になった。その時は、自分が薬が必要なほど精神的にまいっているという客観的な事実を受け入れることができなかった。

 

医者の指示通り、1ヶ月おもいきってやすむことにした

 

テストがあったし、いろいろあるので、一人暮らしの部屋を去ることをずっとためらっていた。実家に帰ったら負けな気がした。何にどう負けなのかはわからないが。とにかく、1度帰ったらもう戻ってこれないのではないかと不安だった。

 

しかしいろいろあって、半強制的に実家に戻ったのが6月頭。

 

もう8月になろうとしているから、医者が指示した1ヶ月はとっくに過ぎた。

 

 

 

はじめは、1ヶ月で復帰せねばと思っていた。

それ以上長く休んだら、もう二度と戻れないような気がして怖くて

 

でも、休んでいるうちに、1ヶ月以上休んでも大丈夫かもしれないと思えるようになった。

 

復帰を焦らないことが大事かもしれないと気づいたから

 

別に寝たきりなわけでもないのだから

体は元気なのだから

ただ大学に行くってことができなくなっただけなんだから

 

そんなんで休むのはだめだと

罪悪感でいっぱいだった

他のことはできるのに、と

できるっていっても、できてたときよりははるかにできないのだが

日常生活ができなかったのだが

学校以外のことは、まだ心への負担がマシだったというだけ

 

休むちょっと前、そして休みはじめのころ、そのあたりに比べたら、だいぶ余裕が出てきたと思う

 

なのに休んでるのは甘えかなとおもいつつ

 

どこかで吹っ切れた自分もいて

 

このお休みは今の自分に必要な休みだと言い聞かせて

 

今日まできました

 

 

そういえばブログ書いていたんだったとおもって見かえしたら

 

5月の頭でとまってた。

 

そう。

 

その辺までは自分的にはめちゃくちゃ頑張ってた。ストレスもめちゃくちゃ感じてた。

周囲から見たらそんなに頑張ってるようには見えなかったかもしれないけれど

 

文章を書くことがデトックスになる感覚だったから、ゆるく書いていたのに

 

それすらやらなくなっていたんだから

 

破綻するのも無理ないね

 

気持ちもだいぶ落ち着いてきたし

こんな風に生きていきたいなみたいな生き方の見直しみたいなのもできてきて

でも現実世界への復帰は焦りたくないとおもっていて

 

ブログってリハビリにぴったりかもと思って

 

また気まぐれに再開することにした

 

その日書きたかったことをなんとなく書こうと

 

2018いつの間にか半分過ぎてしまったけど

 

眠れない夜に悲しくなったり落ち込んだり絶望するくらいだったら

 

眠れないなら眠れないでいいやと受容して

 

こうしてブログを書こうという

 

そういう気持ちになって

 

今日は書いた

 

はぁ

 

少し落ち着いた

 

また横になろう